تسجيل الدخول大型トラックの長距離輸送を始めて一か月。一条凛は運行管理者の平野から、新たな打診を受けていた。「牽引免許ですか?」「そう。今、大型トラック運転してもらってるけど、ゆくゆくはコンテナ専用車を担当して欲しいな……と思って。」「コンテナ専用車……」「船にそのまま積み込める、コンテナを輸送する車輌だね」「へえ……」「牽引免許があると、トレーラーが運転できるから。取得してみない?」「はい!」凛は嬉しそうに頷いた。「そしたら、今月、シフト減らして教習に通ってくれて良いよ。教習時間も給料出るから。」「はい。よろしくお願いします!」凛は深く頭を下げた。久しぶりに自由な時間が増える。(そうだ。)自然と一人の顔が浮かんだ。白石悠真。最近は、お互い仕事が忙しく、ほとんど顔を合わせられていない。(また、一緒にご飯食べられるかな。)凛は少しだけ嬉しくなった。スマートフォンを取り出す。『こんにちは! 牽引免許の教習が始まるので、しばらく昼間の勤務になりました。 もしご都合が合えば、また一緒にご飯でもいかがですか?』送信。「えへへ。」小さく笑う。返事が来るのが楽しみだった。* * *神崎グループ本社。昼休み。白石のスマートフォンが静かに震えた。(プライベートの方か……)白石は多忙を極めていた。朝から会議が詰まり、ひっきりなしにメールとチャットが届く。しかし、プライベートの連絡は久しぶりだった。(誰からだろう?)画面を覗き込むと、表示された名前に思わず口元が緩んだ。(……一条さん……!)メッセージを開く。一文字ずつ読み進める。「……相変わらずだなあ……」初秋の風のような笑顔が溢れる。その爽やかさに、オフィスはざわつく。だが、白石は全く気付いていなかった。(……会いたい。)胸の奥から、素直な気持ちが溢れる。あの食卓。温かいスープ。他愛もない会話。一条凛の笑顔。(でも……。)白石は静かに目を閉じた。今の自分は、あの頃とは違う。神崎家へ戻った。復讐のために。——いや、未来を変えるために。もう、一条凛の前で何も知らなかった頃の自分には戻れない。(“メシ友”のままでは、もういられない。)スマートフォンを握る手に力が入る。ゆっくりと返信を打った。『ごめんなさい。 最近、仕事が立て込んで
第43話 すれ違う視線「ありがとうございます」白石は深く一礼し会長室を出る。廊下の先には神崎怜と神崎次郎がいた。「……悠真」怜は、無意識にその名を呼んだ。白石が足を止める。ゆっくりと振り返る。2人は初めて、真正面から向き合った。白石の瞳は冷たい。傷付き、失った者だけが宿す静かな光。怜は言葉を探す。(……これまで、どうしていた。)(苦労はしなかったか。)聞きたいことはいくらでもあった。けれど、何一つ口にできない。白石もまた、怜を見つめていた。(一条さんを撃たせた男。)(婚約者を捨てた男。)(……一条さんは、この男のために傷付いた……)胸の奥に、怒りとも悲しみともつかない感情が静かに沈んでいる。目の前にいるのは兄ではない。ただ、それだけだった。長い沈黙。やがて怜が静かに口を開く。「……元気だったか」その一言だけだった。白石の表情は変わらない。「神崎常務。」あえて肩書きで呼ぶ。「申し訳ありません。子どもの頃のことは、よく覚えていないんです。」その声は穏やかだった。だからこそ冷たかった。「失礼します。」軽く頭を下げる。そして怜の横を通り過ぎた。その瞬間——怜は佐伯の言葉を思い出した。(一条凛が会っている男、気になるだろ?)(……白石悠真)二人の肩がすれ違う。白石は振り返らない。怜も呼び止めなかった。ただ——白石を目で追いかけていた。「へえ……」次郎はポツリと、そう溢した。(これは、根が深そうだ)
白石は答えられなかった。「それで、君はどう幸せになるんだ?」会長室は静まり返っている。(どう幸せになるか、だって?そんなこと、どの口が言うんだーー?!)神崎家が、どれだけの人を苦しめて来たか……白石は拳を握りしめて言葉を探した。だが見つからない。神崎グループに入る理由なら説明できる。会社を変えたい。自分の力を試したい。だが——。自分がどう幸せになるのか。そんなことを考えたことはなかった。蓮は静かに言った。「ハッキリさせておく」白石は顔を上げる。「オレは家族より会社を優先する」その声に迷いはなかった。「安全な職場。従業員の命。そういうものが第一だ」窓の外に広がる雲城市を見ながら続ける。「収益はそのための手段に過ぎん」白石は黙って聞いていた。「仕事と仲間への敬意」蓮は淡々と言う。「オレはそれだけで生きている」静かな言葉だった。だが不思議な重みがあった。「だから」蓮は白石を見る。「お前に父親らしいことをしてやれるとは思わん」白石は何も言わない。「白石悠真、君が神崎グループに加わるというなら、仲間として歓迎しよう」長い沈黙。やがて蓮は立ち上がった。「話は以上だ」そして付け加える。「IT分野には期待している。存分に励むように」僅かに笑った。次郎と怜は待合室で控えていた。「悠真は、これまでどうしていたんですか?」怜が尋ねる。「何だ、知らないのか?」次郎は肩を竦めた。「システムエンジニアだよ」「……」「雲城市で神崎グループ以外の資本でも生きていける数少ない仕事だ」次郎は笑う。「もっとも取引先はほぼ神崎グループだがな」怜は黙った。次郎は続ける。「よっぽど嫌いだったんだろうな。神崎家が」「……」怜は静かに尋ねた。「なぜ呼び戻したんです?」次郎は目を瞬いた。「いやいや」苦笑する。「あいつが応募して来たんだよ」「……」「本当に偶然だ」怜は黙って次郎を見つめる。「……悠真には、穏やかに暮らして欲しかった」怜がポツリと言う。「会長もそうお思いのはずです」しばらく沈黙が続いた。「あー……その……」次郎は胸元から銀色の缶を取り出した。カシャカシャと振る。「ミントタブレット、食べる?」その時。会長室の扉が開いた。
神崎グループ本社最上階。会長室。大きな窓の向こうには、朝の雲城市が広がっていた。神崎蓮は執務机に向かい、報告書に目を通している。その向かいには神崎怜が立っていた。「青海財閥との業務提携は保留にするのか?」「はい」怜は資料を閉じた。「条件は悪くありません。ただ、気になる部分があります」「NDAは結んであるんだろう?」「はい。私の権限で」蓮は小さく頷いた。「まあ、用心に越したことはないな」その時だった。コンコンコン。扉が叩かれる。「会長、社長がお見えです」蘇我美玲の声だった。「新任のIT推進部長のご挨拶を、と」怜が僅かに眉をひそめる。「IT推進部長……」そんな人事異動が発令されていただろうか。蓮も首を傾げた。「初耳だな。通してくれ」扉が開く。「失礼します」神崎次郎が入室した。その後ろに一人の男が続く。「次郎、異動の発令は事前に——」蓮の言葉が止まった。怜もまた言葉を失う。朝日が差し込む会長室。そこに立っていたのは。「紹介します」次郎は穏やかに言った。「新任のIT推進部長、白石悠真です」白石は一礼する。「白石です。どうぞよろしくお願いいたします」静寂。蓮はただ白石を見つめていた。「白石……」その眼差しは温かかった。まるで長い冬を越えて差し込む朝日のように。だが、それ以上の言葉は出て来ない。白石もまた黙っていた。怜は二人の様子を見守り、次郎へ視線を向けた。次郎は小さく頷いた。「白石君、外で待っている。話が終わったら声を掛けてくれ」「……承知しました」怜も立ち上がる。「失礼します」扉が閉まった。会長室に残されたのは父親と実の息子ーーその二人だけだった。しばらく沈黙が続く。蓮は言葉を探した。しかし、なかなか見つからない。やがて蓮は観念したように本心を告げた。「……綾子は元気か?」「はい」白石は答えた。「母は元気です。苦労もしましたが」蓮は小さく頷く。「そうか」そして続けた。「君は?」白石は少しだけ笑った。だが、いつもの木漏れ日のような笑顔ではない。「……ご覧の通りです」「そうか……」蓮は噛み締めるように言った。「そうか」再び沈黙が落ちる。やがて蓮は静かに尋ねた。「君は、これから何をしたいんだ?」「え?」白石は僅かに目を見開いた
白石悠真が車内に乗り込むと、重厚なドアが静かに閉まった。外界の音が消える。柔らかな革張りのシート。深く沈み込む座面。木目の美しいインテリア。車内には微かに柑橘系の香りが漂っていた。(……趣味が悪い)白石は窓の外へ視線を向ける。黒塗りの高級車は静かに走り出した。「似合っているじゃないか」向かい側のシートに腰掛けた男が言った。神崎次郎。神崎グループ副会長。白石は無愛想に答える。「……冗談でしょう?」視線を落とす。ベージュのダブルスーツ。上質なウール生地は柔らかな光沢を帯びていた。身体に合わせて仕立てられたシルエットは完璧だった。高級品であることは疑いようがない。「若いんだからいいだろう」そう言って白石を眺める。まるで品定めをするように。「……最初は母親似だと思ったが」次郎はふっと笑った。「鼻の形は神崎だな」白石の表情が僅かに硬くなる。「兄貴によく似ている」車内に沈黙が落ちた。白石は窓の外を見たまま言う。「……やめてください」「ん?」「父を父親だと思ったことはありません」次郎はしばらく黙っていた。やがて小さく笑う。「そうか」そして、わざとらしく付け加えた。「だが兄貴は喜ぶだろうな」「……」「実の息子が戻ってきたんだからな」白石は何も答えなかった。答える価値もない。街の景色が流れていく。雲城市。自分を育てた街。そして同時に、全てを奪った街。車は静かに神崎グループ本社へ向かっていた。次郎は胸ポケットから銀色の缶を取り出した。カシャカシャ。中身を手のひらへ落とす。ミントタブレットだった。「食べるか?」「……結構です」即答だった。次郎は吹き出す。「ははっ」そしてタブレットを口へ放り込んだ。「そう気負うなよ」白石は黙ったままだった。窓の向こう。雲を突き刺すような高層ビル群が見え始める。その中心に立つ一棟のビル。神崎グループ本社。次郎は楽しそうに笑った。「ほら」白石はゆっくりと視線を上げる。巨大なガラスの塔が朝日に輝いていた。「お前の舞台にな」
深夜一時。大型トラックは静かにサービスエリアへ滑り込んだ。凛はハンドルから手を離し、小さく息を吐く。「ふう……」エンジンを切る。それだけで世界が驚くほど静かになった。研修を終え、長距離輸送の仕事を始めて数週間。まだ慣れないことも多い。それでも、自分の手で大きな車体を操り、荷物を運ぶ仕事は嫌いではなかった。窓の外を見る。大型車両用の駐車スペースには、同じように休憩を取るトラックが何台も並んでいた。凛は売店で買ったあんぱんの袋を開ける。「いただきます」小さく呟く。甘い餡の香りが広がった。少し疲れた身体に、優しい甘さが染み渡る。休憩スペースの端まで歩く。夜風が頰を撫でた。その先には、雲城市の夜景が広がっていた。無数の灯り。高層ビルの窓。住宅街。工場。港湾部のクレーン。赤い航空灯。まるで地上に星空が落ちてきたようだった。「綺麗……」思わず声が漏れる。凛はフェンスに手を置いた。遠くに見える灯りを眺める。数え切れないほどの灯り。「この灯りの一つひとつに…… ちゃんと人がいるんだなあ」当たり前のことだった。けれど、こうして街を見下ろしていると、不思議と胸が温かくなる。遠くで大型トラックのエンジンが唸りを上げた。次の目的地へ向かう時間だ。凛は残っていたあんぱんを一口で食べる。そして空を見上げた。星は見えない。それでも街は明るかった。まるで、誰かが守っているみたいに。「よし」凛は小さく笑う。「私も頑張ろう」そう言ってトラックへ向かって歩き出した。雲城市の新しい日は静かに始まっていた。* * *そして、同じ日の朝——「お迎えに上がりました ——白石悠真様」垂水と名乗る初老の老人は、恭しく白石に傅いた。背筋は真っ直ぐに伸び、その佇まいには長年仕えてきた者だけが持つ品格があった。「……ありがとう」白石悠真は、ダイニングライトを消し、アパートを出た。
「実は……私は……」凛は振り絞るように、掠れた声で告げた。「神崎家から追放された身なんです」白石の顔を直視することはできなかった。視線をダイニングテーブルに落とす。そこには、まだ温かさが残るオムレツの皿があった。少し前まで、幸せな時間が流れていた場所。今はただ、暖色の光を無機質に反射している。「神崎家……??」白石は少し困惑した声で応えた。「神崎家って、あの、神崎グループの……神崎家?」こめかみを押さえ、背中をダイニングチェアにドサリと預ける。「……はい」凛は静かに告げた。「なので、私とはもう、関わらない方が良いでしょう」それが、この人への最後の恩返しだと思った
「美味しい……!!」凛はオムレツを一口食べて、思わず声を上げた。「ふわふわで、卵とバターが引き立て合っていて、本当に美味しいです!」白石はその言葉を聞いて、嬉しそうに目を細めた。「一条さん、本当に美味しそうに食べるね。 期待しちゃうな。俺も食べてみよう」そう言って白石もオムレツを口に運ぶ。「……うまっ!!」「美味しいですよね?」「うん、本当に美味しい。卵をこんなに使って大丈夫かなって思ってたけど、いくらでも食べられる」「ですよね」「……フォークが止まらない」二人は無心でオムレツを食べた。美食は、人を無言にする。ひとしきり食べ終わり、白石はカランとフォークを置いた。
「全く、とんだ結婚式だったな」黒塗りの高級車の後部座席で、美玲の父親・蘇我一郎はため息をつく。彼は雲城市の市長だ。「…いいえ」蘇我美玲は、ぼんやりと封筒を見つめていた。一条凛の素行を暴く写真が入った黒い封筒。(…これで、良かったのよね?)胸に広がる微かなザラつきを掻き消すように、美玲は一郎に眼差しを向けた。「しかし、白昼に発砲事件なんて…雲城市の治安に関わることです」「ああ。警察長官には全力で捜査に当たるよう伝えている。全く、私の面子にも傷が付いたよ。あんな名士の集まる場で発砲事件だなんて。市政を預かる立場にもなってくれ」(面子…立場…)美玲の思考は、また写真に引き戻さ
会場は一瞬で混沌と化した。「撃たれた!?」「誰が!?」「まさか——」悲鳴と怒号が、白い壁に冷たく反響する。誰かが叫び、誰かが走り出す。警備員たちが参列者を出口へ急かして、祈りの場だった大聖堂は恐怖の匂いで満たされた。その混乱の中で、神崎怜だけが微動だにしなかった。私は支えを失ったように、その場に崩れ落ちた。ブーケが床に落ち、白い花びらが血の上に散る。純白のベールが、床に張り付いた。やがて騒ぎは遠ざかり、大聖堂に残されたのは私と怜だけになった。革靴の音が、ゆっくりと近づいてくる。怜が、私の前に立った。濡れた黒鳥の羽のような漆黒の髪。鋭さの中に憂いを帯びた瞳。教会







